なぜ、願望・欲望を持つと、自らを苦しめ、幸せから遠ざかるのか?
NLPの創始者リチャード・バンドラー博士。
「未来からやってくるアウトカム」
自ら苦しむ者たちの特徴。
なぜ、欲望・願望を持つと、自らを苦しめることになるのか?
「成功したい…」
「独立したい…」
「もっと豊かになりたい…」
「年収2,000万円が欲しい…」
そう願えば願うほど、人は自ら苦しみを引き寄せます。
それはなぜなのか?
少し考えれば、おのずと答えがでてくる。
だって、今を生きるマインドフルネスのブームが過ぎ去ったばかり?
継続中。
瞑想はいいよね。
マインドフルネスは、素晴らしい。
本題に戻ろう。
願望や欲望は、「いまここ」にはないものを求める心のはたらきです。
だけれども、幸福とは「現在」においてしか、感じることができないものです。
つまり、「いつか手に入るはずの○○」を追い求めているとき、
すでに「いま」を見失っています。
そしてその瞬間、幸福は、目の前から消えてしまうのです。
「えぇ、成功している人がいるじゃん…」
「えぇ、独立起業して楽しくやっている人いるじゃん…」
そうそう。
たくさんいますよ。
私にも、
そういう仲間がたくさんいます。
欲望・願望…、
何度も繰り返したな…
起業した35年前の私。
前半の12年は欲望・願望のまま…
「儲けたい…」
「贅沢したい…」
「会社大きくしたい…」
「ベンツに乗ってみたい…」
「年収1,000万円にしたい…」
「銀座のクラブで豪遊したい…」
あれっ!
俺の欲望・願望って、チープだった?(笑)
情けなか…
欲望・願望を手放すようになって、
22年たったか?
本当のことを知った。
出会いって、素晴らしいね。
相対的な欲望・願望じゃダメなんだ。
快楽と幸せはまったく違うんだ。
快楽に導く欲望・願望の代表。
お金。
成功。
成長。
拡大。
高級車。
大きな家。
これらは、みんな相対でしょ。
快楽でしょ。
瞬間でしょ。
絶対的なものではないよね。
そうそう。
毎日、楽しく生きている人って、
絶対的価値を追い求めているんだ。
絶対的価値をいつも、心に描いているんだ。
幸せになれない人の共通点
快楽と幸せの違いを混同している。
自己中心的。
エゴから発生した欲望・願望が中心になっているから、自らを苦しめるんだ。
つねに自分に足りないものを探している。
- 誰かに勝つ基準が「お金」「規模」「社員数」など、相対的な価値になっている
- つねに“相対的価値”に向かっていて、今あるものには注意を向けない
- 自分自身に対して過剰な期待と失望をくり返している
欲望・願望をゴールにした場合、満足することがないんだ。
もっと、もっと、もっとを求めるんだ。
一時的な快楽では満たされないから、また次へと走り始めるんだ。
毎日、呑んで、一時的な幸せを感じる。
そりゃ、アル中に似てくるね。
毎日、豪華な食事をする。
これも一時的な幸せだ。
絶対的な価値のある食事なら、豪華でなくてもよくないか?
ビジョンは、すでにある。
創始者は「未来から何かがやってくる」と言った。
バンドラーが伝えたかった「アウトカム」は、
ただの“目標”ではなかった。
それは無私の生き方が、未来のあるべき姿に導く使命との出会いだった。
使命が明確になれば、自ずとビジョンは描ける。
使命との出会いは、
魂と魂が触れる律動で起きる。
その律動は静かなささやきだから、
無私の精神でいないと気づけないんだ。
五感より先にある物事を感じる最初の『原感覚』が働かないんだ。
自分の内面だけを見つめていても現れない。
他者と関わり、社会とつながり、誰かの痛みや喜びにふれたとき、
アウトカムは、自分の中に自然と“あらわれてくる”。
それは「作る」ものではない。
それは「育てる」ものでもない。
それは、「受け取る」ものだ。
だからこそ、人は「いま、ここ」に根を下ろしながら、
未来から届くものに、耳をすませて生きるんだ。
達成したいことは何だ?
それが欲望・願望なら、それをやってみるといい。
苦しんだり、
誰かを傷つけたりするだろう。
体験し、
痛い目に遭わないと経験にならない。
いろいろ経験し、
本当のことが少しずつ分かってきたとき、
律動がやってくるんだ。
恩寵が起きるんだ。
それは、
美しく、
喜びに満たされる瞬間だ。
NLPを学ぶ醍醐味。
その一つを紹介しました。