私の目標は「食事をつくること」です。
コーチング、カウンセリングでデモをお見せする場面。
「達成したい目標は何ですか?」
クライアント役の彼女は、
「ごはんを作ること」と答えました。
「これは素敵なセッションになる」と確信した私は、
「ごはんを作るとは、どういうことですか?」と問いかけました。
NLPでのコーチングでは、一般的に数か月から2年先ぐらいまでの目標設定をします。
たとえば、
「仕事に自信が持てている…」
「パートナーから『変わったね』『ありがとう』と言われている…」
「1週間に1本のブログが書けている…」
起業家なら、
「本を出版している!」
「お客様から毎月3組の紹介をいただいている!」
「社員を雇用している…」
こんなテーマで始まります。
「ごはんを作ること」を目標にした彼女。
「ごはんを作るとは、どういうことですか?」の問いかけに、
「長男は巣立ちました。次男も、間もなく巣立つでしょう。
私は一人になってもご飯をつくります」
奥深い答えです。
私には律動が起こりました。
クライアント役の彼女の人生。
「言葉にできない辛いことが多かったんだろうな…」
「どんなに辛いことがあっても、子どもたちにご飯を作り続けてきたんだろうな…」
「子どもたちとの食事の時間は、彼女がすべてを忘れられる時間だったんだろうな…」
彼女とのセッションから感じたこの律動は、
事実かどうなのか?
それは分かりません。
だから、コーチ役として、
事実を確認する問いかけをしました。
「お子様たちにご飯をつくる時間は、何ものにも代えられないものでしたね」
彼女は頷きました。
そして、
私は「素晴らしい」と叫んでしまいました。
コーチングの目的は「相手が自ら気づき、考え、行動を選択する力を引き出すこと」です。
だから、私が「素晴らしい」と言ってしまったのは、
「コーチングセッションでジャッジ(評価・裁き)や判断をしない」という、
コーチングの基本的な態度でに反します。
しかし、感動を言葉で示すのは承認でもあります。
承認は「安全基地」になります。
コーチングの基本はクライアントが「自分の内側にある答え」に気づき、
自らの力で行動を選ぶプロセスです。
そのためには、クライアントが自分の考えを自由に言える。
失敗や弱さもオープンにできる。
自分自身を肯定できるという「心理的安全性」が必要です。
承認はその安全性を支える土台になります。
承認の視点で言えば、「素晴らしい」ルール内のようです。
まぁ、私にしてみればどちらでもよい。
なぜならば、変容というのは、よりその人らしくなっていくことだからです。
クライアントをゴールに導くのが目的です。
コーチングのルール通りにすすめることに拘り過ぎて、
クライアントをゴールに導けないのであれば、
それは手段を目的とした本末転倒です。
さて、クライアントとのセッションを通して、
私にもう一つの律動が起きました。
それは、母は彼女と同じような、
どんな辛いことがあったとしても、
食事を作ってくれていたことです。
1959年に嫁いできた母は、
父の儀父母、父の4人の兄弟、工場の従業員の食事。
ほぼ毎日、3度の食事を作っていました。
それだけでも、想像を絶する苦労があったでしょう。
1か月に一度、成田山新勝寺にお参りに行く行事は、
母にとって、
何よりの楽しみだったに違いありません。
今でも、我孫子駅で列車を常磐線から成田線に乗り換えるときの、
母の満面の笑み。
冷凍ミカンを買ってもらうこと。
涼茶パック。
母との時間が蘇りました。
クライアント役の彼女の二人のご子息たちも、
彼女が苦労していたこと、
何があっても愛を注いてくれたこと、
母の笑顔の想い出。
もし、人生の底に落ちたとしても、
それが支えてくれるでしょう。
私も辛いとき、
なんども、
なんども、
母の励ましに助けられました。
コーチング。
カウンセリング。
どちらも、クライアントの言葉を頼りに、
クライアントの生きる上での軸を掴みます。
クライアントが生きる羅針盤です。
そして、その軸を探るプロセスが、
クライアントとガイド役の無意識の扉を開いていきます。
ガイドは、クライアントの言葉の奥にあるもの。
言葉の響きから、言葉を超えたものを聞き取ります。
そのことにより、
セッションを通して、
クライアントとガイドは新しい扉を開けてゆくのです。
コーチング、
カウンセリング。
クライアントのためにしているのか?
それ以上、ガイドの人生を深いものにしていると確信しています。
さて、セッションが進み、
「なぜ、そんなにしてまでご飯をつくるのでしょう」
「いつかは、旅立つ、子どもたちに…」
セッションの終わりは、
クライアントに生きる力が湧きでる言葉で締めくくりたいものです。
だから、天啓を受けて。
「命を分けたからでしょうか?」