【わかりやすく解説】NLPとは?(2021年改訂、オンライン学習を追加)
NLPとは?
NLPとは、Neuro Linguistic Programming(神経言語プログラミング)の略称です。
NLPは1970年代のアメリカで、成功者をモデリング(真似)して生まれた学問です。
共同創始者はリチャード・バンドラーとジョン・グリンダーです。
当時、リチャードとジョンの二人は、心理学の世界で天才といわれた3人のセラピストの
テクニックを研究し、影響をあたえる言語パターンを体系化しました。
セラピストたちの卓越したスキルを再現するために用いたのが、
NLPのベースとなる「モデリング」というテクニックです。
「モデリング」とは、天才たちの卓越性を再現させるために、
彼らの世界にどっぷり浸かり真似するテクニックです。
NLPではモデリングを習得することで、誰もが自分が望むテクニックが手に入れることができると考えています。
求める卓越性は、マネジメント、医療、教育、癒し、自己実現、自己表現、自己開発、
子育て、他人関係、セルフコントロールなど、どの分野でもかまいません。
NLPのモデリングを使えば、望む結果を手に入れることができるのです。
あなたが求めるモデルがいるとすれば、その卓越性をモデリングして習得すればいいのです。
結果に違いをもたらす卓越性を手に入れたとき、私たちはどれだけ豊かな人生を過ごすことができるでしょう。
努力をするのであれば、素晴らしい結果に繋がる時間の使い方をしませんか?
NLPの成り立ち(NLPの歴史)
NLPが誕生するまで、NLPの創始者リチャード・バンドラー
NLPの誕生は偶然の重なりから始まります。
創始者となるリチャード・バンドラーが17歳のときに、
音楽に非常に興味がありロックコンサートの開催を手伝ったことから始まります。
それがきっかけでリチャードは精神科医学者のロバート・スピッツァー博士の妻
(ベッキー・スピッツァー)から、息子のダンにドラムの演奏方法を教えるように頼まれます。
ベッキーは、リチャードの哲学への関心と、彼が音楽を教えるために使用した
知的アプローチに感銘を受けるのでした。
※ロバート・スピッツァー博士は、同性愛を精神疾患のリストから外したことで高く評価されている
米国の精神科医です。
スピッツァー家はサンタクルーズの近くの田舎に山小屋を持っていました。
リチャードがカリフォルニア大学サンタクルーズ校で勉強を始めたとき、
そこの管理人となり、またその敷地に自分用の小さな小屋を建て、そこで研究をするのです。
3人のセラピストとの出会い。1人目は家族療法のバージニア・サティア
NLPは3人のセラピストの言語パターンの研究から始まりました。
リチャードが最初に出会ったセラピストは家族療法のバージニア・サティア。
彼女が友人のイスラエル人のために家族療法を、スピッツァー博士の山小屋でしていた時でした。
そして、リチャードがバージニアの卓越性を研究するきっかけです。
それは、「科学・行動学書店Science and Behavior Books」の会長でもあったスピッツァー博士が
リチャードに、カナダでバージニアが実施する1か月にわたるワークショップの録音と
そのテープ起こしを依頼したからです。
リチャードは数ヶ月かけてワークショップの録音をテープ起こししました。
リチャードは、自分の好きなミュージシャンの曲を何度も何度も聞いて、
そっくりそのまま演奏できるように覚えたように、バージニアのアプローチを研究しました。
そして、バージニアの声のパターンやしぐさの特徴を数多く発見しました。
これは、他のセラピストでは手に負えないクライアントを、バージニアは変化させていた、
違いをもたらす違いを発見するモデルに発展します
2人目は家族療法のフリッツ・パールズ
その後、リチャードは、「ゲシュタルト療法」の大家フリッツ・パールズの
最後の著作の手伝いをします。それは『ゲシュタルト・アプローチ』として出版されました。
スピッツァー博士が会長の「科学・行動学書店」は、パールズが講義する録画から起こした、
もう一つの著作「治療の目撃者」を出版しました。リチャードは、
何週間も映画を見ながら文字起こしが正確であることを確認しました。
結果として彼は、フリッツ・パールズの話し方やふるまい方の多くを身につけました。
それがあまりにもそっくりだったので、スピッツァー博士は何度もリチャードを
フリッツと呼んでしまうほどでした。
たくさんのことを学んだのでリチャードは、学部在籍中にゲシュタルト療法のグループを
キャンパス内に立ち上げました。
レズリー・キャメロン(後にリチャード・バンドラー博士の最初の妻になる)が、
臨床心理学の修士課程の実習の一環として、そのゲシュタルト療法のグループを手伝いました。
NLPの共同創始者ジョン・グリンダー博士
ジョン・グリンダー博士の回想によると、リチャード・バンドラーが彼のところに来て
「言葉を理解し作り出す無意識のプロセスが、言語学によってエレガントにモデル化されているから、
たぶん他の無意識のプロセスもモデル化してみるべきでは」と提案したそうです。
その意図は、言語的要素以外のコミュニケーションの単位を解明し、
コミュニケーションの「文法」をまとめることでした。
その頃、スピッツァー博士はバージニア・サティアが作業しているビデオを持っていて、
1975年に出版されることになった『家族とともに変わるChanging With Families』という本について
考えているところでした。
リチャードとジョンは、この本のもとになったビデオを研究し、バージニアの「お気に入りのフレーズ」
(当時彼らはそれをFavorite licks と表現した)のいくつかを完全に解明しました。
彼らはバージニアにビデオを見せて、彼女がやっていることを彼ら自身の用語で説明しました。
クライエントが悩んでいる問題について、事実と思い込みを明らかにする彼女の手法は、
NLPの質問のテクニックの一つの『メタモデル』の先駆けとなりました。
また彼らは、バージニアがクライエントに合わせて、時には視覚的な言葉を使い、
また他の時には聴覚的、あるいは別の人たちには身体的な言葉を使って話すことに気づきました。
サティア自身はこのことに気づいていませんでした。
このように相手に合わせて言葉を使うテクニックは、その後、NLPでラポール(信頼関係)をつくる
テクニックの主要な要素に発展します。
二人はこれらの発見を、『魔術の構造‐第1巻1975年、第2巻1976年』として出版しました。
もともと『魔術の構造』は、リチャード・バンドラーの修士論文として出発しました。
それが、NLPについて出版された最初の著作となったのです。
NLPの二人の共同創始者(リチャード・バンドラー、ジョン・グリンダー)は、
ジョージ・ミラー(ジョンがロックフェラー大学で共に学んだ)とグレゴリー・ベイトソン
(たまたまジョンの近所に住んでいた)を含むシステム理論など、様々な分野からアイデアを得ました。
バージニア・サティアがこの本の前書きを、そしてグレゴリー・ベイトソンが序説を書きました。
NLP(神経言語プログラミングNeuro-Linguistic Programming)の誕生
1976年の春には、彼らのやっていることの正式な名称として、
「神経言語プログラミングNeuro-Linguistic Programming」が採用されました。
その頃、リチャード・バンドラーとジョン・グリンダーのまわりには、
デヴィッド・ゴードン、ジュディス・ディロージャ、ロバート・ディルツ、
そしてスティーブン・ギリガンなどが集まり、共同創始者は学生グループの中心的存在となりました。
さて、グループのメンバーのデヴィッド・ゴードン、ジュディス・ディロージャ、
ロバート・ディルツたちは、第二世代NLPの中心メンバーになります。
3人目は催眠療法家のミルトン・エリクソン
あるとき、グレゴリー・ベイトソン(「ダブルバインド」という概念を生みだしたことで有名)が、
アリゾナのフェニックスで開業している有名な催眠療法家、ミルトン・エリクソン(医学博士)に
教えを乞うてはどうかと彼らに提案しました。
エリクソンは、彼らに全く新しい境地を開いて見せ、NLPに大きな影響を与えました。
リチャードとジョンは、エリクソンの世界にどっぷり浸かるというお決まりのやり方で学び、
催眠のエキスパートとなったのでした。
そして、彼らは『ミルトン・H・エリクソンの催眠療法テクニックⅠ』という本を1975年に出版します。
その後ジュディス・ディロージャと共著で第2巻『ミルトン・H・エリクソンの催眠療法テクニックⅡ』を
1977年に出版しました。これらは催眠の分野での大きな貢献となりました。
後にミルトン・エリクソン自身が
「リチャード・バンドラーとジョン・グリンダーの『ミルトン・H・エリクソンの催眠療法テクニックⅠ』は、
私が患者に対して使う激しく込み入った言語を、すばらしく単純化してくれた。
これを読んで私は、自分が知らないうちにやっていたことについて、たくさんのことを学んだ」
と語っています。
成功の原点!第一世代NLP
NLPは卓越した3人の言語パターンの研究から始まりました。
・家族療法のバージニア・サティア
・ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズ
・催眠療法ミルトン・エリクソン
NLPは天才たちの世界にどっぷり浸かるというお決まりのやり方で開発され、そして、発展したのです。
これこそ、成功の原点です。
もし、あなたに目指す目標があれば、その対象の世界にどっぷり浸かるやり方で、
誰でも同じ手法を手にすることが可能ということです。それをモデリング(真似る)と言います。
それまで、一般的にモデリングの技術そのものについてはあまり関心がありませんでした。
しかし、いろんな分野で成功している人々をモデリングした結果については、多大な関心が寄せられました。
結果としてNLPは、これらのパターンの研究成果のおかげで、よく知られるようになったのです。
第二世代、第三世代NLPへ
NLPを研究していた中核グループの考え方の違いが無視できなくなってきました。
そのため、グループは1981年に解散しました。これが第二世代NLPの始まりです。
NLPがあらゆる分野に広がっていきます。
当時、すでにNLPは人間が豊かに生きるための基本となる知識になっていました。
NLPは共同創始者のリチャード・バンドラーとジョン・グリンダーの所有物ではなく、
多くの人が共同開発者として貢献していたのです。
ジョン・グリンダーとジュディス・ディロージャ
ジョン・グリンダーとジュディス・ディロージャは1980年代に
“Grinder, DeLozier and Associates”という会社を作り、NLPのコースをスタートさせました。
そのモデリングワークショップに、カナダ人女優ヴィオラ・ラジェールやアイルランド人の
手当療法家のフィンバー・ノーランなどの個性的な人たちがやってきました。
※手当療法とは、ハンドヒーリングやヒーリングタッチとも呼ばれる、患部に手のひらや指先を
当てたりかざしたりすることで苦痛を和らげる方法。
1980年代の終わりには、ジョンとジュディスは「個人的天才の必須条件」という
ワークショップをスタートさせ、そこから彼らの共著『どんどん下に重なっていく亀』が
1987年に出版されます。
この研究から「ニューコードNLP」が生まれ、NLPでは有名な知覚位置などの概念が導入されました。
その後、1989年にジョンは、ビジネス界でのコンサルタントとしてやっていくことに決めます。
ジュディス・ディロージャ
ジュディス・ディロージャは当初から、NLPの開発者とトレーナーとの両方の役割で、
世界中で活躍していました。
1990年、ジュディスはロバート・ディルツと、故トッド・エプスタインと共に、
「NLP大学」を設立し、毎夏NLP認定プログラムを開催しました。
この講習は多くの人から、NLP業界の中でも秀逸なものであると評価されました。
また、ジュディスがアジア地域でのNLPの普及に貢献しました。
レズリー・キャメロン
レズリー・キャメロンは「フューチャー・ペース」という会社を開き、
NLPプラクティショナー及びマスタープラクティショナーコースを提供しました。
レズリーはメタプログラムの開発をはじめ、NLPの中核的なコンセプトの発展になくてはならない人物です。
レズリーは能力のパターンの研究によって、最もその名が知られた共同開発者です。
それは1985年出版『エンプリント・メソッド』、そしてデヴィッド・ゴードンと
マイケル・ルボーとの共著『ノウ・ハウ』で証明されています。
また彼女の男女関係やセクシュアリティに関する研究は1985年出版の『ソリューション』、
1986年マイケル・ルボーとの共著『感情的人質Emotional Hostage』に記されています。
レズリーが1989年にNLPに積極的にかかわることから退く前の最後のプロジェクトは、
「命令する私Imperative Self」でした。
ロバート・ディルツ
ロバート・ディルツは、サンタクルーズのカリフォルニア大学に入ったとき、
ジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーのグループに加わりました。
NLPが今日ある姿と、これからどうなっていくかということについて、
ロバート・ディルツがもっとも貢献していると言われています。
彼はNLPを絶えず進化させています。
たとえば彼がロバート・マクドナルドと共に展開する「スピリットのツール」における
スピリチュアリティや、スティーブン・ギリガンと共同でやる「暴力の眼前での愛」などは有名です。
ロバートは「NLP:新たな心理学」という論文を書きましたが、それがのちに
彼の初の著書『NLP第1巻』(1978)となります。
これはジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーそしてジュディス・ディロージャとの共著です。
その後、彼はたくさんの本を出版しました。もっとも最近のものは、『天才の戦略』シリーズです。
NLPは分野を超えて広がり過ぎて、どこからどこまでがNLPなのか?NLPの定義自体が揺るぎ始めました。
そこで、もう一度、NLPを体系化し直す第三世代NLPへの動きが始まります。
NLPを学ぶメリットとは?
NLPは人生をエクセレントに!
自分で成功と幸せを手にするツールです。
幸せになる方法はシンプルです。それは、自分自身で幸せを感じることです。
それでは、このストレス社会で、どうすれば幸せに生きていけるのでしょう。
幸せな人の特徴
・人生のミッション・ビジョンが明確で豊かな時間を生きている
・まわりから応援される人生を送っている
・応援したい仲間に囲まれている
・社会貢献に貪欲である
・ストレスを学びに変える能力がある
・「怒り」「怖れ」「不安」「悲しみ」などの否定的な感情を引きづらないで安定した心を持っている
・「自分を責める」「自分が嫌い」「休息が取れない」などの行為がなく、自分を大切にする
今以上に幸せになることがNLPを学ぶ目的です。NLPを学び手に入れるゴールなのです。
成功とは?
そして、幸せになるスキルがまわりに使えるようになると!
本当に知られるに値することは、
人を素晴らしい人に変えることであるということである。
P.F.ドラッカー
誰をも人を変えることはできません。けれど、20世紀最高の知の巨人ドラッカー氏の言葉どおり、
「あなたのおかげで人生が変わった!」とクライアントから感謝される人生こそ、
成功したと言えるのではないでしょうか!
人生のゴールを手にするためのテクニック!
幸せでエクセレントな人生!そして成功するためには、NLPのテクニックを手に入れることも重要です。
代表的なNLPのテクニックです。
- まわりと信頼関係を構築するテクニック
- 自分とのコミュニケーション能力
- まわりとのコミュニケーション能力
- 無意識を変化させるテクニック
- モチベーションを向上させる能力
- コーチングスキル
- カウンセリングスキル
- 記憶を書き換えるスキル
などです。
NLPのテクニックはあくまでも、あなたの人生を成功させるためのツールです。
そこで、最初はあなたが今以上に幸せになるゴールを見つけることが重要で、
それを達成するためにNLPのテクニックがあるのです。
賢いNLPの学び方とは?
シンプル過ぎるので時間が必要
1980年、1990年代に日本でワークショップを開催し、日本のNLP、
心理学の発展に寄与したエリック・マーカス氏は、心理療法を以下の言葉で表現しています。
「私は、色々な療法を身につけ30年のワークショップを行ってきたが、
非常に単純で、基本的で、重要なものだけに限るようになった。
いろいろな心理療法や理論があるが、ごく簡単なものに還元できる。
それは普遍的な宇宙的な真理である」
NLPもシンプルです。シンプルであるが故に奥深く、身に付けるには時間がかかります。
それは、ピアノみたいです。ピアノの鍵盤の数は88健です。
誰でもそれぞれの鍵盤を指で弾くことはできます。
でも、プロの様に流れるように弾けるまでは時間が掛かります。
NLPのテクニックは100以上あります。
一つのテクニックが使えたとしても、複数のテクニックを流れるように使えるようになるまでは
時間が掛かります。
継続学習が可能なスクールを選ぶ
そこで、継続学習できるスクールを選びましょう。
継続学習できるスクールの特徴です。
・コース終了後、アシスタントとして参加できる
・他のスクールで学ぶことに制約がない
信じられないかもしれません。
資格取得コースの最終日に記念写真を撮ります。その時です。
「顔を映さないでください…」
理由を尋ねると
「他のスクールで学んだことがバレると、出入り禁止にされちゃうんです!」と教えてくれました。
実は、このような方が大勢いるのです。
民主主義の日本で、参加者の権利・自由を制限しているNLPスクールがあるみたいです。
そんなNLPスクールが存在することが残念です。
そして、それに従って生きている参加者が本当にお気の毒です。
何のためにNLPを学んだの?(笑)
日本文化で使えるNLPを!
アメリカ文化と日本文化は違います。アメリカには世界中から人が集まります。
肌の色、目の色、髪の色など見た目の多様性だけでなく、それぞれの国の価値観が入り混じるので、
日本では考えられない!という場面が多々あるようです。
アメリカに住む人に日本人の特徴を聞いてみると「優しい」「真面目」「協調性」があるなど
ポジティブな意見がある反面、
「大人しい」「自分の意見を言わないから何を思っているかわからない」という意見がよく聞かれます。
しっかり自己主張するアメリカ人。調和や場を大切にする日本人。
そのコミュニケーションスタイルは、大きく異なります。
また、アメリカ文化の言語パターンから生まれたNLP。
例えば。
英語に「ねぎらい」「気」「いただきます」「ごちそうさま」「おつかれさま」という言葉はありません。
日本文化と異なる異文化の言語パターン生まれのNLPです。アメリカで通用しても、
そのままでは日本で使えない部分があります。
もし、アメリカ生まれのNLPをそのまま学びたいのなら、そう宣伝しているスクールを選びましょう。
日本文化で活かせるNLPを学びたいなら、実践を大切にしているスクールで学びましょう。
私たち日本NLPアカデミーのように、日本文化で使えるように工夫しているスクールは少ないのが現実です。
NLPを学んでも使わない!
偉人たちがNLPを学んだといわれています。
マザーテレサ、アンソニー・ロビンズ(世界No.1コーチ)、
ダイアナ妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)、
ネルソン・マンデラ(元南アフリカ大統領)、
バラク・オバマ(元米国大統領)、ロナルド・レーガン(元米国大統領)、
アンドレ・アガシ(テニス選手)など。
偉人たちが学ぶNLPですが、日本でNLPを学んだ90%以上の人が、
NLPを活用できず投資した時間とお金を無駄にしていると言われています。
異文化生まれのNLPが使いこなせないのか?
活かせるNLPを学べなかったのか?
その理由は定かではありません。
その半面、成功を手にしている方もたくさんいます。
私たちのスクールにもNLPをきっかけに成功を手にした方がたくさんいます。
日常で活かせるNLPを学びたいものです。
賢いNLPの資格認定コースの学び方とは?
資格取得コースの種類
NLPは、一般的に3つの資格コースで構成されています。
はじめての方は、プラクティショナー(実践者)コースから始まります。
プラクティショナーコースは、NLPテクニックを自分自身に使えるレベルに育成します。
そして、初級コースを終了した方を対象に、中級者向けNLPマスタープラクティショナーコースで
NLPをまわりに使えるように育成します。
そして、指導者コースとして、NLPを教える先生を目指すNLPトレーナーコースがあります。
なお、プレゼンテーションの技術を研くために、NLPトレーナーコースに参加する方も目立ちます。
プレゼンテーションの機会が多い人にとって、NLPのプレゼンテーションテクニックは魅力的なのです。
ステップ | 資格名 | 概 要 |
初級 | NLP™プラクティショナー | ご自身に使うレベル(テクニック) |
中級 | NLP™マスタープラクティショナー | まわりに使えるレベル(スキル) |
指導者 | NLP™トレーナー | NLP™を教える技術、プレゼンテーション |
資格取得コースを学ぶ間隔
「NLPプラクティショナーから、NLPマスタープラクティショナーに行くまでの間隔は
どれくらい空ければいいですか?」、丁寧に学びたい方から質問されることがあります。
もし、時間とお金に余裕があるなら、連続してNLPプラクティショナーから
NLPマスタープラクティショナーに進むことをお勧めします。
また、NLPプラクティショナーとNLPマスタープラクティショナーを一通り学ぶことで、
NLPの代表的なテクニックを網羅することになります。
オンラインで資格取得コースは学べるのか?
例えば、はじめて来日する外国の方に、「富士山とは?」「寿司とは?」「納豆とは?」を
オンラインで教えることはできます。
でも、納豆の味を体験してもらうことは難しそうですね。
『??とは?』を学ぶ前者が知識学習、後者の納豆の味を味わうように
「見て、聞いて、感じる」のが体験学習です。NLPは体験学習をしながら身につけます。
さらに、想像してください。
「温泉の楽しみ方」をオンライン講座で学ぶとしましょう。
先生はオンラインの向こうで温泉に入りながら「景色」、「音」、「湯の温かさ」、
「温泉の香り」、「リラックス感」などを、自宅にいるあなたに伝えます。
多分、その講座であなたがリアルに体験できるのは「景色」と「音」の一部でしょう。
そして、「湯の温かさ」、「温泉の香り」、「リラックス感」に関しては、
先生と同等の体験をすることは難しいですね。
体験学習だからこそ身につくNLP。
コロナ禍という中では、オンラインとリアル体験を併用しながら学びましょう。