NLPで伝えるコミュニケーション
どうすれば人に対して興味を持てるのか
「相手に興味を持ちましょう」。
こういったことは、コミュニケーションについての
セミナーや書籍などでも、言われることのある内容です。
それだけ大切なことだとも言えますが
「では、どうしたら興味を持てるようになるのか?」ということに関しては
なかなか触れられていないのが現状のようです。
そもそも、人間やコミュニケーションに対して
興味を持っていない人は、最初からコミュニケーションの
セミナーに出たり、本を読んで勉強しようとしたりしないはずです。
この記事を読んで下さっている時点で、
人に対して興味を持っているはずなのです。
必要なのは、人に対して、そして目の前の相手に対して
幅広く興味を広げていくことです。
興味の方向を拡げ、興味の量を増やしていく。
そのためにできる工夫があるのです。
もともと他人のことを良く見ている人は
人間関係への関心が強いことが多いものです。
一方、コミュニケーションに対して苦手意識を持っている人は
人への興味が少ないこともあるようです。
私が研究職として働いていた職場では
人間関係への興味がほとんど無いような人もいました。
研究職として成果を残すには、
人との関わりはそれほど必要ありません。
自分一人で、黙々と研究を続けていても成果は出るものです。
そうした人が上司になり、部下を持ってみて初めて、
人間関係のことを考え始めるというのも少なくなかったようです。
世間一般では、いわゆる理系と呼ばれるような人たちに対して、
コミュニケーションが得意でないような印象が持たれているようですが、
その中には人間関係への関心が弱い人たちも多いだろうと思われます。
テレビドラマに出てくるような科学者のイメージも
ちょっと風変わりで、コミュニケーションを
苦手とするような役柄だったりします。
それは、興味の方向性が人間関係や
コミュニケーションのほうに向いていないというだけかもしれません。
専門分野や自分の好きなことに対しては、
没頭できるほどに強い関心を持てているわけです。
その分、人間関係のほうに関心が向かないのも仕方ないことでしょう。
それまでの人生で、人間関係よりも興味を
向けられる対象があったということです。
人間関係やコミュニケーションよりも
面白いことが他にあったのでしょう。
ということは、人間やコミュニケーションが面白いと思えれば、
そちらの方向に興味が移っていく可能性も十分に考えられるわけです。
事実、私がセミナーで出会った理系の人たちの中にも、
コミュニケーションの楽しさや人間の奥深さに、
のめりこんでいった方々が大勢います。
私がセミナーでしている工夫の1つは
人やコミュニケーションへの興味が深まっていくように
その面白さを体験してもらうことでもあるのです。
「相手をよく観察しましょう」とか
「相手に興味を持ちましょう」というのであれば
まずは相手である人や、その人とのコミュニケーションの
面白さを実感することが大切だと思うのです。
似ているところを見つける
そのために、ここでは楽しみながら
他人に興味を向けられるようになるための日常的な工夫を、
いくつかお伝えしていきます。
まずは、出会った人が有名人の
誰に似ているかを考えるという方法。
有名人で見つからなければ
自分の知り合いから探しても構いません。
似ているかどうかを判別するためには
両者を比較する必要があります。
似ている相手の記憶が曖昧だと
探そうとしても出てきません。
誰かから
「モーニング娘。の最終オーディションにまで
残った女の子にソックリな人がいる!」と言われても、
自分がその人を知らなければ判断のしようがないわけです。
仮に、その人物のことを知っていたとしても
記憶がハッキリしていなければ「
そうだったかもしれないなぁ…」ぐらいの印象になってしまう。
「似ている」と判断できるためには、
その相手のことを良く覚えている必要があるのです。
記憶力の良さとは
思い出す能力の高さと考えることもできますから
誰に似ているかを考える習慣は、人の顔を思い出せるように
記憶のトレーニングをしていると捉えてもいいかもしれません。
この方法を繰り返しているうちに、
似ている相手として記憶のデータベースから探索される対象も
自然と増えていくでしょう。「誰に似ているか」という
観点から注意深く観察した相手のことも、
また詳細な情報としてデータベースに記憶されていくはずです。
そして、似ている相手が見つかったら、
近くの人と話し合ってみるのも効果的です。
自分が似ていると思った人でも、他の人からすると
似ていないと判断されることは良くあることです。
それは人によって着眼点が違うことが
大きな理由といえるでしょう。
人を見るときに、どの部分に注意を向けるかは
人それぞれで違うものなのです。
「あの人、松田聖子に似てるよね?」
「えーっ?そうかなぁ。似てないよ」で終わらせてはいけません。
どの部分が似ていると思ったのかを話し合うと、
自分と相手で見ている部分が違うことが明確に分かるはずです。
慣れてくると、他の人が似ていると判断した内容が
自分としては共感できなくても、どの部分を見て
「似ている」と思ったのかが分かるようになってきます。
中には、誰かに話したときに
全く納得してもらえない人もいるかもしれません。
その場合は、自分の中の記憶が正確かどうかを
良く考えてみる必要があります。
人によっては特徴ばかりを極端に捉えてしまっていることがあります。
全体を見ないで、目や口元だけとか特定の部分に
意識を集中していたり、目につく特徴だけを強調して記憶していたりするようです。
あまりにも納得してもらえない場合には、
その相手の写真をよく見直して、どこが似ていて、
どこが似ていないのかを細かく見るのが役に立つはずです。
色々な人に対して「あの人は菊池桃子に似ている」という具合に
特定の有名人の名前ばかりが何度も出てくる場合も同様です。
大雑把な特徴で、大枠の分類をしている可能性が考えられます。
「この系統の顔の代表は菊池桃子。だから菊池桃子に似ている」という
処理がなされているのかもしれません。
似ていると思った理由を説明するようにして
「口は菊池桃子だけど、目は早見優、輪郭は小泉今日子かな」と、
似ている特徴の中間を見つけるようにすれば、
自然と細かい特徴に対して興味が持てるようになっていくでしょう。
観察力という視点でいえば、詳細な違いに気づくことが
非常に大切ですから、「誰に似ているか」を細かく分類していく
方法は役立つはずです。
その人らしさを言い表す
その一方で、見たものから意味を
取り出せるようになることも重要です。
推理小説やテレビドラマの探偵を思い出して下さい。
細かい違いに気づき、その意味を考えて推理を働かせます。
気づいた情報を役立てるためにも、
その情報の意味を捉えることが大切なわけです。
そのために役立つ日常的なトレーニングとして、
あだ名を考えたり、似顔絵を描いたりする方法があります。
似顔絵に関しては、デッサンのように
正確な絵として描く方法もありますが、
意識して頂きたいのは特徴を強調するということです。
似顔絵のポイントは、パーツの形と配置のバランスです。
多くの似顔絵のプロは、写真や実物よりもバランスを
崩して強調して描くことで特徴を際立たせます。
特徴の判断は、典型的な平均顔からのズレとして捉えられますから、
平均から離れた部分を強調すると
更に特徴が分かりやすくなるわけです。
このときに、単なる顔のパーツの特徴だけを
意識するのではなく、その人らしい表情や感情を描くのがコツです。
筋肉やシワに定着している、その人の内面の傾向を描くわけです。
とはいえ、似顔絵を描くのは、絵に対して
苦手意識のある方にはハードルが高いかと思います。
そこで、あだ名を考える方法が役立つのです。
最近のテレビ番組では、お笑いタレントの有吉弘行さんが、
あだ名をつける芸で有名です。
そのあだ名は、悪口に近い内容で面白さを誘っていますが、
一言で相手の特徴を表現しているという点も見逃せません。
厳しい内容だけど、上手い。
そう感じさせるものがなければ
あれだけテレビで取り上げられないでしょう。
私も大学生の頃、道を歩いているときには
すれ違う相手に対して瞬間的に
あだ名を考える遊びをしていたことがありますが、
バリエーションを広げながら特徴をつかむのは難しいものです。
例えば、知人の印象を説明しようとする
状況を考えてみたとき、多くの人は自分にとって
大切な価値観をもとに特徴を見てしまうものです。
「あの人は優しい」とか「真面目だ」とか「行動力がある」とか、
そうしたことを思うのは、自分自身が優しさや真面目さ、
行動力を常に意識しているからです。
自分が大事にしている要素を
通じてしか判断はできないのです。
だからこそ、その人の特徴を一言で表現するような、
上手いあだ名を考えるのは難しいわけです。
誰が聞いても納得するように、相手の特徴を捉えていく。
そこには客観的な視点も求められます。
そして、その人の本質ともいえる典型的な特徴を捉える必要もあります。
そのためには、自分にとって大切な、
決まりきったポイントだけを見ているのでは不十分でしょう。
様々な振る舞いに注目して、それらの奥底に共通して流れている
特徴を探すように心がけるのが重要です。
そこさえ見られるようになれば無理に
あだ名という形にする必要もないかもしれませんが
「上手いあだ名を考えよう」という意識をすると
自然に相手の色々な部分を総合して見ようとし始めるはずです。
また、思いついたあだ名がシックリこないときには
自分が総合的に捉えている印象と合っていない部分がある状態です。
より上手いあだ名を考えようとすることで、
さらに相手の特徴に対して興味が高まるでしょう。
遊び感覚であだ名を考えるだけの方法ですが
実はかなり効果的なトレーニングなのです。
ただし、あだ名を考えても、それを口にするのは止めておきましょう。
相手が不快に思わないとも限りません。
うっかり呼んでしまうことのないように
よく行く店の店員ぐらいから始めるのが無難かもしれません。
ここで紹介した「似ている人を考える」方法も
「あだ名を考える」方法も、簡単にできることでありながら、
難しさも含んでいるのがポイントです。
やるだけなら簡単にできる方法ですが
それを納得感が得られるレベルにしようとすると
なかなか難しいものです。
そして、どちらも自分の記憶を探っていき
一番シックリする表現に変換しようとするプロセスを含んでいます。
心の中にある曖昧な情報を整理して、言葉に変えるというプロセスです。
やってみると分かりますが
シックリきたときに、なんとも言えない満足感が得られるものなのです。
思いだそうとしていたことが出てこなくて
のど元まで来ているような感じがする状態の気持ち悪さ。
あれが解消できたときのようなスッキリ感が得られるのです。
この難しさに対する悔しい気持ちと
上手く表現が見つかったときのスッキリ感の組み合わせが
これらの方法そのものを楽しいものにしてくれるはずです。
人に興味を向けないとできないプロセスが
楽しいものに感じられるはずなのです。
気持ちを察する目的
また、世の中には何も意識的に努力をしていなくても、
人を見ることに長けている人がいるものです。
仕事上で多くの人と出会う機会があったりすると、
自然と人を見る目も磨かれていくことでしょう。
人生経験が豊富な人ほど、会った瞬間に、
相手がどんな人物かを直観的に
理解できるようになっていくはずです。
それは人間が無意識にパターン化をして
認識をする性質と関わっていますが、多くの人と接することが
観察力をつけるポイントだと単純に言ってしまっては、
技術として磨いていくには不向きです。
もちろん、大勢の人と出会うことは素晴らしいと思います。
ただ、漫然と多くの出会いを繰り返すよりも、
目の前の一人との関わりに意識をしっかりと
向けていくほうが得られるものが多いはずだということです。
その意味で、とにかく他人を注意深く見てきた人というのは
人を観察することが得意なようです。
育ってきた環境の中で、他人の顔色をうかがう必要があったり、
込み入った人間関係の中で上手く立ち回る必要があったりすると、
他人をよく見る癖が身についていくはずです。
一般的に言えば、親からのメッセージに複数の
意味が込められていた場合には、親の顔色を見て、
その意図を判断する習慣ができていきます。
例えば、小さい子供が母親に話しかけたとき、
「なぁに?」という返事の一方で顔を
自分のほうに向けてくれなかったとか、「どうしたの?」と
返事をしながらも面倒くさそうな表情で家事を続けていたとか、
そうした対応を繰り返されると
子供には状況を察する能力が磨かれていくわけです。
言葉の上では受け止めるメッセージではあっても
態度や表情が拒否のメッセージを発している。
複数のメッセージを同時に受け取っているのです。
「もう勝手にしなさい!」などというメッセージは
言葉の内容として「自分の好きなようにやっていい」と
許可をしながら、同時に「~しなさい!」という
部分で命令をしていることになります。
もし「勝手にする」という内容のほうに
反応しようとしたら、相手の命令に従ってしまうことになり、
結局のところ「勝手に」できていないことになってしまいます。
もし命令に対して反発しようとしたら、
命令に従わないという意味で「勝手にする」ことに
なってしまいます。
こういうメッセージを『ダブルバインド』と言いますが、
このようなコミュニケーションを通じて、
相手の本当の気持ちを読み取る習慣が身についていくと考えられるのです。
ただし、ダブルバインドを過度に受け続けると
コミュニケーションそのものへの拒絶感を
持ってしまうこともあるので注意が必要です。
人から「気がきく」とか「空気を読める」とか言われる人は
こうして言葉の裏の意図を読みながら
生きてきた可能性があるわけです。
「のどが渇いた」という言葉を聞いて、
それを独り言として受け止めるか
「飲み物が欲しい」というメッセージと受け取るか。
人によっては、必ず「飲み物が欲しい」という意味で
受け取るかもしれません。
相手の様子を観察してから
どちらの意味なのかを判断する人もいるかもしれません。
育ってきた環境の中で、自分の身の回りに
起きているコミュニケーションをよく観察しながら
意味を感じ取ってきた人は、自然と他人を見る
習慣を持っているということです。
この場合には、面白さや好奇心といったところから
生まれる興味とは違って、生きるために他人に
興味を持たなければいけない事情があったと考えられます。
このように、切実なところから他人への興味を
持ち始めるケースは、幼少期に限ったことではありません。
大人になってからでも
人間関係で激しく後悔するような経験をしたりすると、
一気に人間関係への関心が高まることがあります。
こっぴどくフラれてしまったり、自分のせいで
人を傷つけてしまったりした経験が、コミュニケーションへの意識を
目覚めさせることもあるでしょう。
心の痛みや苦しみもまた、興味を生み出す原動力になるのです。
見えなかったものが見えるようになっていく
見えなかったものが見えるようになっていくここまでに
目の前の相手そのものや、相手とのコミュニケーションに
対して興味を強めていくための方法を説明してきました。
それを整理すると、大きく2通りの
方向性に分けて考えることができます。
1つは、人間関係を向上させたり
コミュニケーションを円滑にしたりするために、
相手の振る舞いや表情に対して関心を高めていくもの。
相手の気持ちを察しながら生きてきた人は
こちらに当てはまります。
必要に迫られて、相手に関心を持ってきたケースです。
もう1つは、人間の振る舞いや表情そのものを
理解するプロセスを楽しむことで、結果的に目の前の
相手やコミュニケーションへの関心が高まっていくというものです。
「この人はどんな顔をしているだろうか」
「この人はどんな特徴を持っているだろうか」
と理解しようとすること自体を楽しむわけです。
言い換えると、人間関係やコミュニケーションという
目的のために、そこへ至るプロセスとして相手に対する
関心を高めていく方法と、相手に関心を高める
プロセス自体を楽しむ方法と、
2通りあるということになります。
この2通りの方法は、相手に興味を持つという
場合に限ったことではありません。
目的のためにプロセスへのモチベーションを高めていく方法と
プロセス自体を楽しむことでモチベーションを高めていく方法。
これは一般的にヤル気を高める場合でも当てはまります。
スポーツの例でいえば、試合に勝つために
毎日頑張って練習を続けるのか、練習そのものの中に
楽しさを見出して練習を続けるのか、ということです。
どちらも大切です。良し悪しではありません。
ただ、観察力を意識して、相手に興味を持つようにするという場合においては
私は個人的にプロセスを楽しむほうをお勧めします。
人間関係における目標は、自然と移り変わっていくものです。
立場も関わる人も、時間とともに変わっていくものです。
しかし、生きている限り、
人と関わり続けていくことは変わりません。
相手に興味を持って関わることは、
様々な場面で役に立つはずです。
だからこそ、人に興味を持つプロセス
そのものを楽しむことをお勧めするのです。
「自分は人の気持ちを察する必要があったから、
自然と他人を観察してきていた」という人にも、
「人間関係に、あまり関心を向けることがなかった」という人にも、
観察のプロセスを楽しんでみて頂きたいと思います。
誰もが自分なりの方法で
コミュニケーションをしているものです。
人を見るときの着眼点も、それぞれで違っているのです。
自分の見方の癖を知り、
色々な見方ができるようになるのが大切でしょう。
相手のことを細かく見て、多くの情報から
相手の特徴を掴むように心がけていく。
すると、今まで見ていなかったものが
見えるようになっていきます。
今まで気づかなかったことに、
気づけるようになっていきます。
科学の世界も、計測・観測の技術の発展に裏付けされているのです。
顕微鏡の進歩で、ミクロの世界が分かってきた。
望遠鏡の進歩で、遠い宇宙のことが分かってきた。
見えるものが増えると、
分かることも増えていくのです。
人のことが分かるようになる。
相手のことが分かるようになる。
それで全てが上手くいくわけではありません。
時には、分かるからこそ苦しむこともあるかもしれません。
知らないほうが幸せなこともあるでしょう。
しかし、人には何か、知ることに対する
欲求のようなものがあるような気もします。
前に進んでいれば、見える景色は変わってくるものです。
見えるものが変わり、分かることが増えていくのは
前に進んでいる証拠かもしれません。
疲れた時には、止まって休むのもいいでしょう。
そんなとき、疲れた人の心の支えになるのは
近くでそっと見ていてくれる人かもしれません。
関心を向けてくれている人がいる。
そのことが少しでも意味を持つのなら、
誰かを見つめる側の人になるのも悪くないかもしれない。
そうは思いませんか。